運動会、猛暑で延期になりました
23日(木)午後、ジュンの通う小学校からメールが入りました。
25日(土)に予定されていた運動会が、延期されることになったということでした。
猛暑が予測されるため。
延期先は、週明けの28日(火)です。
当初の学校のスケジュールは、
土曜日 運動会
日曜日 普通にお休み
月曜日 土曜日の代休
火曜日 なぜか給食なし・お弁当持参で通常授業
水曜日 普通に授業
というものでした。
これの、土曜日と火曜日が入れ替わるようなかたちになります。
私たちの住む地域は、この土日、猛暑日となることが予想されています。5月の猛暑日は観測史上初だとか。
児童はもちろん、幼児や高齢者が保護者として観覧することを考えると、学校の判断は英断だと思います。
しかし…
多くの親御さんが、仕事で観覧できない、という悲しさは、この際おいておきます。
猛暑で延期というのは、陽は雨で延期と大差ないものなので、お天気には逆らえません。
しかしながら、延期先の火曜日も、予想最高気温は30℃です。猛暑日よりもちろんましですが、危険な高温であることに変わりはないような…。
当日の昼食は、子どもたちは教室で、持参したお弁当を食べるのだそうです。
多くの親御さんが来られないことを考えれば、教室で、というのはよいことです。また、教室はエアコンが入るので、子どもたちにとっては良いひと休みになるでしょう。
だったら給食にしてほしかったな(-_-)
まあ、給食となると、配膳や片付けなど、子どもたちがバタバタすることになるので、さくっと食べられるお弁当でいいのかな…ぶつぶつ。
それにしても、ここ数年、5月は本当に暑い日が増えました。
1980年代ごろまでは、運動会は9月下旬から10月上旬に行う学校が多かったですが、残暑の影響(と、たぶん、秋は文科系行事をやる慣習があるので準備が忙しくなること)を勘案して5月に実施する学校が主流になって今日に至るようです。
気候がこうまで変わってしまった以上、運動会の開催時期は、再び大きく変わることが望まれます。
大学受験の仕組みが変わり、幼児教育が無償化された今日、現状の学校行事はその意義を保っているのか。開催時期は現状が望ましいのか。運動会のみならず、初等教育、あるいは義務教育期間をどう意味づけるかを踏まえ、行事の種類も時期も見直しが望ましいと思っています。
れんげ食堂Toshu赤たんめんは普通に辛かった
早めの時間だったので、ほとんど待たずにやってきました。
麺も赤みをまとっています。写真ではあまりよくわかりませんね。
いただきます。
うーん。
うん、辛い。
母の日には毎年同じものを贈ろう
今週のお題「母の日」についての記事です。
今日は母の日でしたね。
ゴールデンウィークに入る前に財布と相談して、とーちゃんのお母さんのために、ネットショップで花束を選んで母の日前後に届くよう注文しました。
とーちゃんのご両親に対して別に敵意はありません。
幸せに生活していただきたいと思っています。
ただし、私のあずかり知らぬところで。
それでもまあ、ジュンの祖父母なわけですから、対外的に申し訳が立つ程度の付け届けをしておりまして、その一環として母の日に義母に花束を贈っております。
必ず生花の花束。消えるものと決めております。鉢花やプリザーブドはNGと決めております。
このルーティーンの背景には、私の実母の助言があります。
とーちゃんと結婚して最初の春、私はそれはそれは気合を入れて、「母の日には何を贈るべきか? 義母の好みは? 習慣としてやっていることは?」とうだうだ考えながら、お店を歩いたりネットを漁ったりしていました。
そんな話を、ある日ぽろっと実母にしました(当時、夫と住んだ家から私の通う大学院が遠かったため、院に近い実家に毎週泊まっていました。その中でぽろっとです)。
すると母は、「花束でもお菓子でも、毎年決まったものにして、母の日はそれだけにした方がいいよ」と、浮かれる私を制してくれました。
“プレゼントを選ぶのは楽しいだろうが、毎年になるといずれネタが切れる。私事や仕事に紛れてプレゼントを選ぶのが苦痛な年も出てくるだろう。だから、毎年考えずに差し上げられるものにした方が良い””他に差し上げたいものがあれば、それは行事や記念日と無関係の時に、サプライズとして差し上げればよい”と。
当時の私は少し残念だなと思いつつも、納得するものもあったので、母の言に従って花束を贈りました。それ以来義両親には、母の日にはカーネーションの入った花束、父の日には義父と義母とで飲めるお酒、という定番を贈っております。
結婚して10年以上が過ぎ、とーちゃんもいない今、実母の助言はしみじみとありがたいです。
予算にマッチして、カーネーションで、花束で、と条件を絞ると、優柔不断な私でも20分で注文できます。
今、新婚さんで、こういった行事ごとの贈り物を楽しく悩んでいる方がいらしたら、定番のイベントには毎年決まったものをお贈りすることをお勧めします。とにかく機械的に贈ればよいんだ、となれば、毎年悩まずに済みます。
私に助言をしてくれた実母は、折に触れて“いただきものがいかにありがたく、いかにやり場に困るか”を語ってくれています。そのような事情から、実母への母の日や誕生日は「おめでとう」の言葉と一緒に過ごす時間がプレゼントとなっています(気の置けない人へのお祝いって、大体そうなると思います)。
モラハラ野郎の父と結婚していた間の母が私にしたことについては、正直いまもフラッシュバックがあり「これが親のすることか⁉」と、生々しい憤りに駆られることがあります。
それでもやはり、私の糧になることをしてくれて、困っているときは助けてくれる母への感謝は尽きぬものがあります。
我が子を愛せなかった時間2
我が子を愛せなかった時間
ジュンが発した「彼女がいたら」。
我が子はシスへテロだったと知った日
無職なのですが、暇ということもあって、
昨年ちょっと気がふれて無理して仕事についてしまい、
ただ、友人の仕事場は私の自宅から遠くて、
私の住んでいる場所は、
友人の仕事場がある場所は、都心をを二歩ばかり出て、
ある日、友人の仕事場から帰って私はジュンに言ってみました。
「ジュンが高校生ぐらいになってもいまのお仕事してたら、
「ええー? 寂しいから嫌だなあ」
(*^-^)
どうもジュンは、かーちゃんが○○市に引っ越した場合、
「そうかな、高校生ぐらいになると、お母さんいるの嫌だ、
Σ(⊙д⊙)あんた、シスへテロだったのね←突っ込みどころがここ
そっかあ、自分に恋人がいたら、
我が子の成長に感慨深い思いです。