学者くずれ×ひとり親の貧困交差点

博士号持ち・子持ち・メンヘル持ち。職なし・連れ合いなし・気力なし。それでも今のところ、なんとか生きています。

これっくらいの♪ 楽器箱に♪

カルロス カルロスちょいと詰めて♪

なんていう歌も流行りましたね(?)。

 

私は低学年の頃から近眼で、目が悪くなるからとあまりテレビを見させてもらえなかったこともあってラジオを普段から聞いてます。

 

今朝、カルロス・ゴーン氏のニュースがラジオから流れてきました。

「えっ、ゴーンってレバノンに逃げたんだ!?」とジュン。

普段、ラジオが流れていても中身を完全にスルーしているのでしょう、今ごろ彼の逃亡を知ったようです。

 

「楽器箱に入って飛行機に乗ったらしいよ」

それを聞いたジュンの反応は…

 

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色々散らかっていてすみません。

いいなあ、子どもの発想。

バイオリンケースって、ゴーンはエスパー伊藤かっΣヽ(゚∀゚;)

 

 

運動会、猛暑で延期になりました

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23日(木)午後、ジュンの通う小学校からメールが入りました。

25日(土)に予定されていた運動会が、延期されることになったということでした。

猛暑が予測されるため。

 

延期先は、週明けの28日(火)です。

当初の学校のスケジュールは、

土曜日 運動会

日曜日 普通にお休み

月曜日 土曜日の代休

火曜日 なぜか給食なし・お弁当持参で通常授業

水曜日 普通に授業

 

というものでした。

これの、土曜日と火曜日が入れ替わるようなかたちになります。

 

私たちの住む地域は、この土日、猛暑日となることが予想されています。5月の猛暑日は観測史上初だとか。

児童はもちろん、幼児や高齢者が保護者として観覧することを考えると、学校の判断は英断だと思います。

しかし…

 

多くの親御さんが、仕事で観覧できない、という悲しさは、この際おいておきます。

猛暑で延期というのは、陽は雨で延期と大差ないものなので、お天気には逆らえません。

しかしながら、延期先の火曜日も、予想最高気温は30℃です。猛暑日よりもちろんましですが、危険な高温であることに変わりはないような…。

 

当日の昼食は、子どもたちは教室で、持参したお弁当を食べるのだそうです。

多くの親御さんが来られないことを考えれば、教室で、というのはよいことです。また、教室はエアコンが入るので、子どもたちにとっては良いひと休みになるでしょう。

 

だったら給食にしてほしかったな(-_-)

 

まあ、給食となると、配膳や片付けなど、子どもたちがバタバタすることになるので、さくっと食べられるお弁当でいいのかな…ぶつぶつ。

 

それにしても、ここ数年、5月は本当に暑い日が増えました。

1980年代ごろまでは、運動会は9月下旬から10月上旬に行う学校が多かったですが、残暑の影響(と、たぶん、秋は文科系行事をやる慣習があるので準備が忙しくなること)を勘案して5月に実施する学校が主流になって今日に至るようです。

 

気候がこうまで変わってしまった以上、運動会の開催時期は、再び大きく変わることが望まれます。

大学受験の仕組みが変わり、幼児教育が無償化された今日、現状の学校行事はその意義を保っているのか。開催時期は現状が望ましいのか。運動会のみならず、初等教育、あるいは義務教育期間をどう意味づけるかを踏まえ、行事の種類も時期も見直しが望ましいと思っています。

 

 

れんげ食堂Toshu赤たんめんは普通に辛かった

アルバイトに行くので歩いていると、その辺り唯一の飲食店であるれんげ食堂Toshuの前に、新メニューの看板。
これは行かざるをえない、ということで、たまの贅沢・お外ランチ。
 
新メニューとは、これです。

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タンメンですので、野菜たっぷり。1日に必要な野菜の半分がとれるとのこと。
男児もち貧困一人親の私は普段から、息子が食べなかった野菜とカスミを食べて生きておりますが、野菜はもともと好きなので嬉しいです。
 
そして辛いとのこと。
辛さは3段階から選べます。
1辛、2辛、ときて、3辛ではなく「裏辛」
唐辛子の辛さゲージもMAXです。
私は激辛は苦手ですが、普通に辛いものは大好きです。
ここは迷わず、裏辛をオーダー。
 

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早めの時間だったので、ほとんど待たずにやってきました。

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 赤い。
レーニンとかコカ・コーラとかシャアとか言いたくなるくらい赤い。
キャベツも赤い。
 

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麺も赤みをまとっています。写真ではあまりよくわかりませんね。

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 いただきます。

 

うーん。

うん、辛い。

ごく普通に、辛い。
辛いを謳うならば、最低限このくらいは辛くなければという程度に辛い。
ラー油と唐辛子の辛さに、香味野菜がお手伝い、といった具合です。
タンメンなので、濃くて重い辛さではなく、さらっと消えていく辛さ。
 
あまり外食できないのでよくわかりませんが、辛さだけで言うと、日高屋のチゲ味噌ラーメンくらい(とはいえあれは、辛いというよりしょっぱかった)でしょうか。
市販品で言えば、セブンイレブンの蒙古タンメン北極ブラックの方が辛かったように思われます。農心の辛ラーメンがお好きならばちょうど良いくらいでしょう。
 
暑い時期に辛いものを食べるのは、発汗による放熱を期待してだと聞いたことがあります。冷房の効いたお店でしたが、汗を拭き拭き、扇子でパタパタしながら完食完飲。その程度で汗が収まったので、その程度の辛さでした。
 
ごちそうさまでした。
 
そうそう、扇子でパタパタしていたら、こうなりました。ちょうちょになりましたー

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母の日には毎年同じものを贈ろう

今週のお題「母の日」についての記事です。

 

 

今日は母の日でしたね。

ゴールデンウィークに入る前に財布と相談して、とーちゃんのお母さんのために、ネットショップで花束を選んで母の日前後に届くよう注文しました。

 

とーちゃんのご両親に対して別に敵意はありません。
幸せに生活していただきたいと思っています。

 

ただし、私のあずかり知らぬところで。

 

それでもまあ、ジュンの祖父母なわけですから、対外的に申し訳が立つ程度の付け届けをしておりまして、その一環として母の日に義母に花束を贈っております。
必ず生花の花束。消えるものと決めております。鉢花やプリザーブドはNGと決めております。


このルーティーンの背景には、私の実母の助言があります。

 

とーちゃんと結婚して最初の春、私はそれはそれは気合を入れて、「母の日には何を贈るべきか? 義母の好みは? 習慣としてやっていることは?」とうだうだ考えながら、お店を歩いたりネットを漁ったりしていました。


そんな話を、ある日ぽろっと実母にしました(当時、夫と住んだ家から私の通う大学院が遠かったため、院に近い実家に毎週泊まっていました。その中でぽろっとです)。

すると母は、「花束でもお菓子でも、毎年決まったものにして、母の日はそれだけにした方がいいよ」と、浮かれる私を制してくれました。


“プレゼントを選ぶのは楽しいだろうが、毎年になるといずれネタが切れる。私事や仕事に紛れてプレゼントを選ぶのが苦痛な年も出てくるだろう。だから、毎年考えずに差し上げられるものにした方が良い””他に差し上げたいものがあれば、それは行事や記念日と無関係の時に、サプライズとして差し上げればよい”と。

 

当時の私は少し残念だなと思いつつも、納得するものもあったので、母の言に従って花束を贈りました。それ以来義両親には、母の日にはカーネーションの入った花束、父の日には義父と義母とで飲めるお酒、という定番を贈っております。

 

結婚して10年以上が過ぎ、とーちゃんもいない今、実母の助言はしみじみとありがたいです。
予算にマッチして、カーネーションで、花束で、と条件を絞ると、優柔不断な私でも20分で注文できます。

 

今、新婚さんで、こういった行事ごとの贈り物を楽しく悩んでいる方がいらしたら、定番のイベントには毎年決まったものをお贈りすることをお勧めします。とにかく機械的に贈ればよいんだ、となれば、毎年悩まずに済みます

 

私に助言をしてくれた実母は、折に触れて“いただきものがいかにありがたく、いかにやり場に困るか”を語ってくれています。そのような事情から、実母への母の日や誕生日は「おめでとう」の言葉と一緒に過ごす時間がプレゼントとなっています(気の置けない人へのお祝いって、大体そうなると思います)。

 

モラハラ野郎の父と結婚していた間の母が私にしたことについては、正直いまもフラッシュバックがあり「これが親のすることか⁉」と、生々しい憤りに駆られることがあります。

それでもやはり、私の糧になることをしてくれて、困っているときは助けてくれる母への感謝は尽きぬものがあります。

 

 

 

我が子を愛せなかった時間2

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続きです。 
 
ジュンが3歳になった頃、保育士さんにジュンの発達上の問題を指摘されました。
 
そのとき私は、その一因に自分の接し方があると考えました。
断っておきますが、発達上の問題が生じるのは脳の器質が非定形であるためで、育て方の問題ではありません。しかしそれが日常生活の不自由や、自尊感情の低下ーーすなわちディスアビリティーーになるのは、接する周囲の問題だと私は考えています。
ジュンが私より恋人を大事にする日が来たときに、ジュンやその恋人を責めてしまうような醜い自分になりたくないからといって、ジュンの成長を妨げて良いはずがありません。それは一緒に暮らす大人としてしてはならないことだということに気づかされ、猛烈な罪悪感を抱きました。
 
そこから今度は、意識して、温もりの伝わる関係を作ることにしました。嘘でもいいからと思いながら、キミが大好きだよと毎日語りかけました。
結果として、ジュンは多少の特性はありつつも標準範囲内の発達を見せ、私はいつのまにかジュンが大好きになりました。気にかけて世話をするうえに言葉にして愛を伝えるのですから当然と言えば当然ですが。
 
さて。ジュンに恋人ができたとき、私はその二人に大人としてまともに接することができるでしょうか。甚だ自信はありません。

我が子を愛せなかった時間

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ジュンが発した「彼女がいたら」。
 

 

komorikahko.hatenablog.com

 

この言葉は私にある罪悪感を再認識させます。
 
いまやジュンとは友達以上恋人未満のようなラブラブ母子ですが、ジュンがもっと小さかった頃、私はジュンを好きになれませんでした。
 
子どもをもつにあたって、私には不安しかありませんでした。
私は子どもが好きではありません(それでも子どもをもつことにしたのはまたこれで長い話になるので後日)。
でもたぶん、家族としての子どもへの愛情というのは、よそのうちの子どもをかわいいから好きになるというのとは違って気にかけて世話をするうちに育まれるものだろうという程度のことはわかっていました。
そして、それこそがとても不安でした。
 
私はわりと世話を焼くタイプです。
相手の仕草や発する言葉の行間から相手の気持ちを読み取って相手の気に入るようにしようと動いてしまいます。モラハラのある家庭の子らしい、モラハラの餌食になりやすい性格だと言えます。
 
そういう性格なので、おそらくまめまめしく世話を焼いたあげく、自己実現を子どもに依存して、私の気に入らないことをしたら許せない母になるだろうと思っていました。
まして子どもが男の子で、成長して彼女だ嫁さんだを連れてきた日には、いびらない自信がありません。
そんなふうに、我が子の重荷になることはしたくありませんでした。
 
できれば、「母親、いたなあ。なんかそれなりに世話はしてくれた。でもあんまり印象ないや」という存在でありたかったのです。
あ、ちなみに母性愛がへったくれというのは私はただの神話だと思っていましたし、今でも思っています。ジェンダー研究していれば99%の人はそうなります。
 
子どもに依存しないこと。そのためには、愛情は、よそから受け取ってもらおう。
同じ家に暮らす大人として、するべき世話はする。何も愛情を注ぐ人が母親である必要はない、子どもを望んでいるとーちゃんと、周りの人々に愛されて育ってもらおう。そうやって立派な大人になった人は歴史上にいくらでもいる。
 
そう自分に言い聞かせて、私が息子に依存してしまうような愛着を形成しないように意識して接してきました。必要以上に抱かないとか、しつけの上で必要な場合を除いて誉めないとか、意識して冷たい母親をやりました。
好きにならないように、意識して疎々しくするわけですから、手放しで大好き、という気持ちにはなりません。
気にはかけるけれどどう接したものかわからない、そういう生活が3年続きました。
 
続く
 

我が子はシスへテロだったと知った日

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無職なのですが、暇ということもあって、アルバイトがてら友人の仕事のお手伝いをしております。

昨年ちょっと気がふれて無理して仕事についてしまい、鬱状態になっていた時に、仕事を手伝わないかと声をかけてもらって、件の仕事をやめてからお手伝いさせてもらってます。

 

ただ、友人の仕事場は私の自宅から遠くて、片道2時間弱かかります。ルーティンで通っているわけではなく、お互いに予定を擦り合わせて会える日に会って仕事をしているので距離は問題になっていませんが、遠いというのはやはり億劫ではあります。

私の住んでいる場所は、電車の乗り入れで東京都心へのアクセスが良くなったことと再開発の影響とで、この5年ほどで一気に人口が増えました。

とくにこの1、2年は、あまりの人の増えようになんとなく暮らしづらくなってきたと感じています。

 

友人の仕事場がある場所は、都心をを二歩ばかり出て、ほどほどの地方都市、というエリアです。駅の近くですが、人の流れも私の住んでいる町ほどではありません。

 

ある日、友人の仕事場から帰って私はジュンに言ってみました。

「ジュンが高校生ぐらいになってもいまのお仕事してたら、かーちゃんは○○市にお引っ越ししようかなあ」

「ええー? 寂しいから嫌だなあ」

 

(*^-^)

 

どうもジュンは、かーちゃんが○○市に引っ越した場合、自分はいまの町で独り暮らしになると解釈したようです。高校生の子どもを一人暮らしさせるくらい裕福だったら良いねえ(遠い目)。

 

「そうかな、高校生ぐらいになると、お母さんいるの嫌だ、うっとうしいって思うこが多いよ。そんなに寂しくならないんじゃいかな? それに、一人で遠くまで移動できるようになるから、寂しかったらすぐ会えるよ」しばし考えたジュン、こう言いました。「じゃあ、僕に彼女がいたら、それでも良いよ」

 

Σ(д⊙)あんた、シスへテロだったのね←突っ込みどころがここ

 

そっかあ、自分に恋人がいたら、などという想像をするようになったんだ。

我が子の成長に感慨深い思いです。