我が子を愛せなかった時間
ジュンが発した「彼女がいたら」。
いまやジュンとは友達以上恋人未満のようなラブラブ母子ですが、ジュンがもっと小さかった頃、 私はジュンを好きになれませんでした。
子どもをもつにあたって、私には不安しかありませんでした。
私は子どもが好きではありません(それでも子どもをもつことにしたのはまたこれで長い話になるので後日)。
でもたぶん、家族としての子どもへの愛情というのは、 よそのうちの子どもをかわいいから好きになるというのとは違って 、 気にかけて世話をするうちに育まれるものだろうという程度のことはわ かっていました。
そして、それこそがとても不安でした。
私はわりと世話を焼くタイプです。
そういう性格なので、おそらくまめまめしく世話を焼いたあげく、自己実現を子どもに依存して、 私の気に入らないことをしたら許せない母になるだろうと思っていま した。
まして子どもが男の子で、成長して彼女だ嫁さんだを連れてきた日に は、いびらない自信がありません。
そんなふうに、我が子の重荷になることはしたくありませんでした。
できれば、「母親、いたなあ。なんかそれなりに世話はしてくれた。でもあんまり印象ないや」という存在でありたかったのです。
あ、ちなみに母性愛がへったくれというのは私はただの神話だと思っていましたし、今でも思っています。ジェンダー研究していれば99%の人はそうなります。
子どもに依存しないこと。そのためには、愛情は、よそから受け取ってもらおう。
同じ家に暮らす大人として、するべき世話はする。何も愛情を注ぐ人が母親である必要はない、子どもを望んでいるとーちゃんと、周りの人々に愛されて育ってもらおう。そうやって立派な大人になった人は歴史上にいくらでもいる。
そう自分に言い聞かせて、私が息子に依存してしまうような愛着を形成しないように意識して接してきました。必要以上に抱かないとか、しつけの上で必要な場合を除いて誉めないとか、意識して冷たい母親をやりました。
好きにならないように、意識して疎々しくするわけですから、手放しで大好き、という気持ちにはなりません。
気にはかけるけれどどう接したものかわからない、そういう生活が3年続きました。
続く