学者くずれ×ひとり親の貧困交差点

博士号持ち・子持ち・メンヘル持ち。職なし・連れ合いなし・気力なし。それでも今のところ、なんとか生きています。

野田市小4虐女児待死事件に思うこと1~暴力で支配された家族~

千葉県野田市で起きた小4女児虐待死事件で、被害女児の母親が、加害者である夫を制止せず虐待を防がなかった容疑で逮捕されましたね。

この事件では、母親自身も夫から暴力を受けていました。母親は事件の2年前まで住んでいた沖縄県糸満市児童相談所にも、今回の事件にかかわった千葉県の柏児童相談所にも、DVの相談をしています。夫から娘への虐待についても、その間は暴力が自分に向かないことで、止めることができなかったと言っているようです。
 
いくつかの報道によれば、この父親は市教育委員会の学校教育部次長に対しても再三の恫喝を加えて、女児が答えた学校実施のいじめアンケートのコピーを提供させています。
妻子のみならず赤の他人にも平気で恫喝を加えるこの父親は、暴力を振るい慣れている人物だということができるでしょう。
 
子どもが亡くなるということはそれだけで悲劇だし、それが誰かに危害を加えられた結果であるとなれば、「なぜ守ってやれなかったのか・周囲の大人は何をしていたのか」という批判は当然起こります。
いちばん身近にいた母親を、「なぜ体を張って我が子を守らなかったのか」と批判することは容易いでしょう。
でも、暴力を振るい慣れている人間の前で、そうでない人間は平静に、あるいは敢然と対処するなどということは極めて難しい話です。
 
私の話になってしまいますが、私は物心ついた頃には3つ上の兄から殴る蹴るの暴力を受けてきました。私が中学に上がった頃からはその頻度が落ちていきましたが、少なくとも十代前半まで私は、「こいつに殴り殺されるか、自分が耐えられなくて死ぬか、どっちかだろう」と思っていました。
あまりにも頻繁に、兄が私に理屈の通じない因縁をつけて暴力に出るので、当初は引き離してくれた母親は途中で匙を投げ、「これはあんたたちの兄妹喧嘩だから手を出さない」と宣言しました。
父親は、仕事の関係で子どもが起きている時間は酔って寝ていて、何かでスイッチが入れば怒鳴り散らし物に当たり全く理屈が通じません(今ならわかりますが、父がガンで、その家族ストレスが、ヒエラルキーの最下層にいた私に集中していたわけです)。
 
この生活は萎縮します。
抵抗すればが長引くので、嵐が吹いている間、逆らわず思考を停止しているのでなければ心が壊れて生きられなくなります。
荒れていない時間を一秒でも引き伸ばそうと必死になるあまり、まともな思考ができなくなります。
それでも爆発するときがやってきてしまうので、何をやっても無駄だと感じるようになってしまいます。
何をやっても現実を変えることのできない自分に対しても、価値を感じることができなくなり、なおさら抵抗力を奪われて行きます。 
 
話を虐待事件に戻しますが、暴力を振るう父親がひとたび荒れ始めたら、母子は息をひそめて成り行きをやり過ごすよりほかなかったのだろうと想像します。
逮捕された母親は、一度、父親と離婚したものの再婚したようです。父親の、学校、教委、児相と押しかけていっては抗議するマメさ(しかも普通に仕事しながらですから悪い意味で脱帽です。私のような怠け者にはまねできない)を勘案すると、復縁せざるを得ないと思わせるような事情があったのではないかと邪推してしまいます。
 
もちろん、どんな過酷な状況であろうがそれを脱する人はいます。
でも、それはすべての人に可能というわけではありません。
実際に似たような状況を脱した人がいたからといって、できなかった人に「なぜできなかった」と責めるのは、悪しき自己責任論です。
司法は今回の事件の母親を逮捕して、何の責任を問おうというのか、今のところ私には理解できません。