読み聞かせ『おさる日記』~見解の相違~
わが子のジュンは、小学3年生です。
2年生の始めに突然2人暮らしになったためか、それとも本人の特性かは不明ですが、とても甘えん坊。
起きてるときはフォートナイトで頭がいっぱいですが、寝る前には、今も本を読んでほしいといいます。
まあ、読み聞かせを聞いてくれるようになったのが年長さんからだったので、聞きたがるだけいいと言い聞かせて続けております。
本は基本的に、図書館から借りてきます。
今回読んだ本は『おさる日記』(和田誠・文、村上康成・絵、1994、偕成社)。
だいたい、以下のようなストーリーです。
ある日、「ぼく」と「おかあさん」は、航海から帰る「おとうさん」を迎えに行きます。「おとうさん」は、お土産に小さなおさるを連れて帰ってきました。
おさるの「もんきち」は、日がたつにつれ、できることが増え、毛が抜けていきます。そんなある日、「ぼく」は学校で、「おさるがだんだん人間になった」ことを習います。
「もんきち」はいよいよ器用になり、毛も薄くなり、しっぽも短くなり…
すっかり人間の子どもになった「もんきち」を、「おかあさん」は「ぼく」の弟にしよう、と話します。「ぼく」はびっくりしつつも、「おさるが人間になるのは科学的なことだから」と納得します。
「お父さん」が再び航海から帰ってきた夜更け、「もんきち」と一緒に子ども部屋で寝ていた「ぼく」はふと目を覚まし、隣の部屋の両親が小さな声で話しているのを耳にします。
“「おかしなこともあるもんだな」とおとうさんがいった。「ほんと、それにこんなふしぎなことが、二度もおきるなんて」とおかあさんがいいました。”
この二文で、お話は終わりです。
日本語がおかしいのは、「ぼく」が書いた日記というスタイルで物語ができているためです。
読み終わって、私はジュンに、「さて、どういうことだろう?」と投げかけてみました。
な…なるほど。
そうか、キミにはそう読めるんだね。
3年生となると、例えば国語の読解もだんだんと、「本文読めば書いてあるでしょ」では解けない問題が出てきます。
家庭学習を見ていても、その「行間」をどう説明するかに悩むことがあります。
今回のようなジュンならではの解釈を大切にしながら、一緒に国語に立ち向かっていきたいと思いました。