学者くずれ×ひとり親の貧困交差点

博士号持ち・子持ち・メンヘル持ち。職なし・連れ合いなし・気力なし。それでも今のところ、なんとか生きています。

ハローワークに行きました4~私が出会った優しい相談員さん~

 引き続き、ハローワークのお話。
 でも今回は、制度の話ではなくて、私の個人的な話。
 転職した人のサイトや5ちゃんまとめなどでは、“ハロワの職員にひどいことを言われた”“バカにされた”という話をよく目にしますが、私は偶々当たった相談員さんに優しくしてもらいました、という経験談です。
 
 求職活動には色々ありますが、ハロワに来たついでに窓口の相談員に職業相談をするのが手軽なので、多くの人はついでに相談員のところに立ち寄ります。

 相談は、とりあえず先に求人検索の作業が必要です。ハロワにある端末等で求人情報を検索し、希望の求人があればその内容を印刷(ハロワにはプリンターがあります)して、相談員のカウンターへ行きます。私の行っているハロワでは、相談員の面談のための様式があって、希望の職がなければないでその旨を記入して相談員に持っていけば対応してもらえます。

 

 私が行っているハロワで、顔馴染みになった相談員さんがいます。
 昨年の9月。そのときの私は、「何でもいいから働かなきゃ!」という猛烈な焦りに見舞われていました。ハローワークインターネットで見つけた求人に紹介状をもらおうと、前職の離職票をもって初めてハロワに行きました(前回も書きましたが、働いているから基本手当がもらえないと思い込んでいたので、基本手当の申請等のためには行っていませんでした)。

 

 そのときにたまたま当たった相談員が、Hさんでした。
 私が研究者になろうとしたことも、そこから崩れたことも、ひとり親になったことも、そのときに働かなければと猛烈に焦ったことも、私にとってはひと続きに絡まりあったことで、いまだにうまく言葉にできない(ので、おいおいこのブログの中でも少しずつ話していきたい)のですが、そのときもあまりうまく説明はできませんでした。
 Hさんは一通り親身になって聞いてくれて、“まだ落ち込んでいてもおかしくない時期なのだから、焦らないでゆっくり活動していきましょう、よい仕事を見つけられるようお手伝いします“と言ってくれました。

 

 そこで紹介状を出してもらって、受けに行った先での採用が決まったものの、極端に生活が変わってしまうことをはじめとした不安で鬱状態になってしまいました。
 就職報告(入社日前日にハロワに行って報告すること。この日まで基本手当が支払われる)の日にそれを話すとHさんは、「せっかく決まったお仕事だけれど、辞退しよう」、「これこれをしなければならない、と思うと、どんどん重荷を負ってしまうことになる。大切なのは、あなたとお子さんが健康で、笑顔で過ごせることです。どんな仕事をするか、いくら稼ぐかではないんです」と言ってくれました。この言葉は本当に、私がその後を考える上で拠り所になりました。

 

 さらに入社してみたらやっぱりそのサイクルについていけなくて、さらに精神的に追い詰まってしまって相談という名の愚痴吐きに行ったときにも、私のヘタレっぷりを責めることなく、“勇気をもって休みなさい”と言ってくれました。“未来を心配するよりも、いま健康で、子どもと一緒に元気に過ごせることが大切”なのだと。

 その後も、私にできそうな仕事の求人表を郵便で送ってくれたりと、とても気にしていただきました。

 

 そんなわけで今回、仕事やめちゃいました、という報告をかねて相談(というより完全に報告)することにしました。
久々にお会いしたら、Hさんは開口一番に、「どうしてた? 心配してたんだー、また求人表送ろうか、電話しようか、どうしようかなって」。本当に、気にしてくれる人がいるって嬉しいです。

 席に着いて、残念だけれど仕事はやめてしまったこと、そのあととりあえず、全くの無職というのもアレなのでアルバイトをすることをお話ししました。

 

 一応なんとなく求人票を印刷して持っていた私に、「とりあえず生活の目処がたっているならもういいの、焦らない焦らない」と、それを破棄することを勧めて、求職票に判子を捺してくれました(求職相談に来ましたよ=求職活動をしていますよという証拠になります。つまり次回までの私の求職活動実績はこれでOKとなります)。

 

 ハロワの職員の態度が悪いという文脈の話では、その理由として、ハロワの職員の大部分が非常勤で、専門性も責任感も乏しいこと、休職者と大差ないほどに身分が不安定で、余裕をもって休職者に接することができないことなどに言及されます。実際そういう側面はあるでしょう。
 ただ、私が当たったHさんは、やはり非常勤の方ですが、丁寧に優しく接してくれました。
 そういうこともあるので、つまり、人には会ってみよ、ということなのだと思います。